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2018年1月29日 (月)

小樽できみちゃんの夢が実現、「赤い靴」のお話。

その少女の名前は「きみちゃん」。誰もが知っている、童謡「赤い靴」の主人公といわれている娘デス。少女の像は1979年に横浜の山下公園に“赤い靴はいてた女の子の像”が赤い靴記念文化事業団によって初めて建立されました。そして現在では国外を含めて8体ほどあるようデス。

 

とても、悲しい物語、少女の事を思うと...

★ 壊れていた絆、『赤い靴』の人々

 https://ameblo.jp/ks-management/day-20141028.html

   ※ 下部に前・中・後編とありますので、時間がある方はどうぞ~(^_-)-☆

 

ま、俺的には赤い靴ではなくて“レッドシューズ”という名前から、興味が始まったのですがロックとかカフェバーという業態を立ち上げた店だったり、そうすると“銭牝”といわれたディスコ文化やナイトレジャー産業を日本に広めた池口麗子氏と高橋正直さんとか、カフェバーといえば西麻布、旧名は霞町となり発祥の店名で松山勲氏とか、南青山で現在二代目を襲名している門野久志さんが出て来るということは、その料理を現在しているのは山賀氏で東京の表玄関と言われた旧丸の内パレスホテル中華の料理長で、そうするとヒロシの兄ちゃんの...まぁ、ゴチャゴチャになるので、それは機会があれば別にやりマスm(__)m

 

さて、小樽できみちゃんの「親子像」ですが、実は小樽AKYしてからバスで向かう際に、ゴソゴソと検索してたらヒットしたので、コース変更で賑やかではないコチラの運河方面に行く事にしてもらい、小樽の運河公園まで来ました...が、雪の壁で凄い事になってました!

  Img_0460_3 

こちらの公園は元々は日本国指定重要文化財の旧日本郵船小樽支店の船入澗だった場所だそうデス...っていうか、どっから入んだよ、この時期のココには!

  Img_0451_3  Img_0459_2 

お、上の画像見るとそうでもないように見えるでしょう(向かって左)。これは雪の壁にへばりついて腕を上に上げてから撮った一枚。そして右側は最初の画像で俺抜きの画像デス。だから、結構な雪壁デス。結局は入る場所はなく、無理やり上って公園内に向かう事になりました(+_+)!

  Unga10 
       借用画像ですが、雪が無い状態デース♪
 

赤い靴の少女が実在しており、9歳で生涯を終えてしまったというのは、かなりの衝撃でした。俺的には考えたことも無い事で、まぁ、その後いろいろ検索したら「実は横浜から船に乗って外国には行ってなかった」とか「そうではなくて社会主義運動の流れで作者が」とか、「・・・北海道にきみちゃんはいってなかったんじゃないかな」とか...いろいろあるようデス。小樽にコノ像が出来たのは、お母さんと結婚した男の人の(きみちゃんのお父さんは不明なので)家族が最終的に小樽にいたからなようデスm(__)m...さて!!

 

 

 はぁ、ハァ、はぁ...凄ぇよ、足がズボーっとかネ...あ、コレを押すのカナ!?!

 

  ...なるほど、はぁ、ハァ,,,『赤い靴』がボタン押すと曲が流れる訳だ!!

  Img_0458 

    結構な雪深さで...アー、伝わんないネ、この画像!!

  Img_0456 

  まぁ...ハァ...まぁいいや、ココでお父さんとお母さんと一緒になれたんだネ!
 

そんな感じで小樽の「きみちゃんの親子像」との対面でした~...え! そうなの、それは...解んねんよ! だって...その部分は見えねえし!!!

 

  Akaikutsuoyako  

  そうなんだ...靴は「赤」なんだネェ~!!

...いろいろな思いが交差して、小樽の赤い靴、親子像を拝見しました。かなり、奥深い背景があります。自由化経済による資本主義、憧れの思想は物凄い格差社会、いや、封建主義の社会では当たり前だった事が、カタチを変えて受け継がれてしまったワケだ。

富を集めた所に富は蓄積する、高笑いの富裕層。そして苦悩する貧困層は救いを求め、『社会主義運動』という甘美な夢を追う。

極太の流れは、現代にも続くのデス。最大宗教であると思われる“キリスト教”にも世界中からの流れは止められず、逆に派閥が発祥するのデス...このテーマはスゲェ~長くなるし、難しいので割愛しますが、我々の日常では考えてなくても、コノ流れに取り込まれているのかも知れませんナァぁ~(^_-)-☆

★ 小樽・運河公園

http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0001523.aspx

 

横浜の歌的に認識されてしまったが、キミちゃんは横浜にも...実は、小樽...いや、北海道の地にも行っていないという説もある。なぜならば、生まれながら身体が弱かった少女だから...母と二人で北海道行説は多々あるが、どうやって行ったのかには誰も触れていない。そして二人ではなく、四人...いや、実は三人という説。行っていないかも知れない少女と母、母の弟、それをプロデュースしたのは少女の母の母親の男という話。少女の母の母親は、少女が生まれた時に孫のために行ったお参りの途中に天に召されたというが、その事には誰も深く触れようとしない。

貧困層は縋る思いで「社会主義運動」という大きなウネリの中で、思いを寄せた仲間達は漠然とした思想を抱き、やがて日本中でその活動は激しさを増していく。やがて、同じ目的意識に目覚めた人々は集団となり実現に向けての行動を起こす。少女の母達は「ユートピア建設という夢」...地主からの搾取ではなく、実際に働く者達がオーナーとなり、収益は自分達に直接入るというシステム...素晴らしい夢の実現に向けての第一歩は北の大地にある。

「夫はいないけど私に授かった大切な命。私は生みます、そして娘と幸せに暮らします」

私生児を生んだ母、世間の厳しい視線。私生児の少女、生まれつき身体の弱い少女。

知ってマスか? きみちゃんの夢。普通の暮らし...お父さんとお母さんと自分で一つ屋根の下...朝寝坊して飛び起きて、お父さんとお母さんからいつものように怒られて、ちゃんと食べて学校。友達と登校途中に出会い、教室では仲間との給食、家に帰る時は決まってるメンバーと下校して「またね!」って帰宅。お風呂に入って夕食はお父さんとお母さんと一緒に、今日の出来事を...当たり前の生活が出来なかった少女...そういう時代があったという現実。

心は擦り切れ、身体に鞭を打つ、少女の母の現実。そして同じ思いの仲間達とその夢。

少女の母の母親の男は、北の大地に向かう決断をする、同じ思いの仲間達と共に。

身体の弱い少女は、北の大地に向かう体力は無い。苦悩する少女の母、仲間達と北の大地に向かう事を決断した少女の母の母親の男は、少女の母に仲間として一緒に行く事を提案したという話がある。それは少女との別れ、施設に入れるという選択...m(__)m

そう、だから少女は『赤い靴』...さえ、履いていない可能性もある。

 

明治から大正、そして戦争と関東医大震災に限らない地震という天災。震災復興、敗戦、そして戦後復興からの流れで生まれた一つである「童謡」という国家プロジェクト。本居長世氏と石川啄木氏、そして野口雨情氏...きみちゃんのお母さんの恋人で旦那になった鈴木志郎氏...新聞というプロパガンダを最大に活かせるツールを手に入れた、当時の権力者は、この物語を知らない...一人の少女、9年という短い生涯、母子家庭、惜別。一瞬の光は再び漆黒の闇へと墜落する、血涙の慟哭、施設での病魔に蝕まれての生活、そして無への終焉...夢への矛盾を決断した夫婦、儚い夢の挫折、宝物への思い...新たなる希望、見知らぬ姉への思い...救いを求めた者達の救いようのない物語は、「赤い靴」の人々とは直接関係の無い者達によって今も語り継がれている...銅像の建設という形で。そう、何も知らない人々からの募金という善意によって...真実は、誰にも解らない。

 

★ 壊れていた絆、『赤い靴』の人々

    ・前編 生い立ち、そして別れ 

    ・中編 二度目の別れ、そして 

    ・後編 希望、赤い靴の絆とは 

 

「赤い靴」は俺にとって、もう一つのライフワーク、ですナ~ (^_-)-☆

 

 

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