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2018年12月 6日 (木)

目黒雅叙園創業者、細川力蔵氏の芝浦編 ~見番改修工事~

  この方のお話、エ、誰かって...細川力蔵氏デス♪

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今日は特に予定無しなので、趣味人ですから中国料理と関係の深い芝浦辺りから浜松町経由で港区の図書館まで散策~♪

久しぶりに来てみましたが、ロケーション良しですナァ~!!

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やはりコノ地域を代表する企業といえばヤナセさんで実はコレから見ようとしている建物の元々の持ち主とも深く関わってマス。そして東京ポートボール、近くにあった田町ハイレーンは建物取り壊しでなくなってしまいましたが、こちらは持ち主が変わって営業を続けてマス...なんか思い出す人もいるんじゃないですか、けっこうこの辺でブイブイいわせてた方も多いと思いますが、そうです、ジュリアナ東京はココにあったんデース♪

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エントランス部には昔の面影がありますナァ~...反対側は取り忘れましたが、なか卯さんがありマス。この間の道をしばらく行くと右側に...あ~、アーーー!!
 
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えー、骨組みだけになっちゃって...だってコレは港区指定有形文化財だったよネェ~、取り壊しかなぁ~、一時は補修工事で...ん、補修工事...!?

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...あ~良かった、そうですか、2015年からズーーーっとほったらかしにしてたんで、やらなくて取り壊しカナと思ってしまいました。そーですか、そーですか...え? この建物がなんだか知らない、なんで中国料理なんだ!と解りました、ご説明いたしマース(^_-)-☆

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1936(昭和11)年、芝浦花柳会の見番、三業組合事務所のことで、「置屋」「料亭」「待合」からなる「三業」を取りまとめ、芸者の取次ぎや遊興費の清算をする施設で、二階にはお稽古場が百畳敷きだったそうデス。この所有者で建物自体も作らせたのが「細川力蔵」氏だったのデス、だから中国料理と関係深いって言ったでしょうが...ま~だ解りませんか? 中国料理の回転盤を中国も含めて世界に広めたのが目黒雅叙園でその創設者が細川力蔵氏なのデース!!

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        昔の状態                     現在の状態

そもそも雅叙園は芝浦で開業しました。和食の料亭としてオープン、その後中国料理を始めて、目黒雅叙園へと続いていくのデス...どこの人? 石川県出身、金持ち? いやボンボンではなく風呂屋の丁稚奉公から始まったようデス、え、なんで風呂屋の丁稚が雅叙園を...わかりました。面倒なんで細川力蔵氏について、まとめますネ~(^_-)-☆

1889(明治22)年に石川県羽咋郡の農家で生まれる。大正初期は必需品である燃料の石炭やコークスなど北陸産が東京に出回っており、その流れで銭湯界は新潟・富山・石川の出身者で牛耳られていたので、なんと成績優秀だったため小学校を10歳で卒業、すぐに縁者の伝手で東京・神田の銭湯に奉公する。当時の銭湯は故郷からのコークスを町工場や家庭用の小売りを手掛けるトコが多く、力蔵少年は誰よりも早く起きて売り歩き、戻っては客の背中を流す三助として、精力的に働いていたそうだ。そして1912(大正元)年、22歳の時に支援者も集まって、ついに独立、住み込みの身から経営者となるのだ。

“芝の浦”、日本初の鉄道開通は1972(明治5)年、静かな漁村だったコノ地は激変する。富士山が浮かぶ絶景の地に交通の便の良さが加わり、海水浴や潮干狩り、花火見物、そして温泉もわき出し、一大行楽地と変貌する。そもそも“芝肴”といわれるほど漁場として成立していたので旅館や活魚を中心とした料亭が続々と進出。やがては新橋、赤坂、浜町などに並ぶほどの花街として発展していくのだが、細川力蔵氏は20代前半でそういう場所で経営者となったのだ。

1912(明治45)年に隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦地区の埋め立てが開始され、1919年(大正8年)2月 芝浦海面埋立地が完成し、翌3月に芝浦町一 - 三丁目が成立、東京市芝区に所属となるという大きな流れがあった。

力蔵氏が経営する銭湯は大盛況でのお客様達が利用されていた。毎日来るような方々には三助となり背中を流す。するとアーダーコーダーと様々な情報が入るようになった。常連の中には芝浦の議員もおり、細川氏の異能、聞いた事を忘れない記憶力に着目し、議会に同伴、つまり秘書的役割をしてもらったりしていたそうだ。

やがて、芝浦一帯の大規模都市開発、埋め立て計画の情報を得た力蔵氏は、運命の人である新潟の石油王中野貫一氏とその息子である中野忠太郎氏に相談を持ち掛けるのだ(実際の窓口は貫一氏が高齢のため忠太郎氏)。

ここから力蔵氏の不動産事業が始まり、中野氏の資産を活用して土地売買を任せられた細川氏は中野氏の東京における代理人のようになり、東京市が22万坪のうち17万坪を民間に払い下げる情報を入手。そして見事落札に成功して広大な土地の管理と貸付業を任され、1920(大正9)年に芝浦商事を設立した。実はココは陸の孤島になるはずだったが、落札後に東京市は本土と三つの埋め立て地を結ぶ橋の建設方針を発表、陸続きとなり大幅にその価値が上がり、地価の高騰によって膨大な利益を得た細川氏は、芝区南浜(現在の港区芝浦)に大邸宅を構えたのだ!!

力蔵氏の勢いは止まらない。芝浦地区の開発や賃貸住宅事業への進出、東京ガスという大手企業への貸付、そして東京放送局(現NHK)の発祥地であった芝浦から愛宕町に移転するのだが、その情報をいち早く入手してあらかじめ移転する用地を購入し、売却を成功させたといわれている。こういう風に書くと成金とか金の亡者みたいに思えてしまうのだが、実際はそうではない。

1923(大正12)年、日本では未曽有の大災害が起こる。そう、関東大震災だ!

『自分たちの街を自分達で守ろう』と細川力蔵氏は震災復興の旗振り役として立ち上がり、地域自治やコミュニティ作りを働きかけるために「南浜町会(現芝浦一丁目町会)」を発足、初代会長となり、積極的に地域住民と協力し合うのだ。

1926(大正15)年には、先程出て来た「ヤナセ」の創設者である柳瀬長太郎氏や三和自動車の藤原俊雄氏など多くの借地権者が契約とは不当な賃上げが繰り返されていたので、芝浦借地人大会を開き「芝浦地代値上反対既成同盟会」が大会決議で結成されて会長就任。自分の出世には無くてはならなかった恩人である中野完一氏は他界したので忠太郎氏に対して、住民を代表して交渉。結果、芝浦住民側の大勝利となったそうだ。

目黒雅叙園は新潟の石油王である中野氏が実際の金主だといわれているが、目黒雅叙園の設立してから細川氏と中野氏の繋がりがまったくというほど出て来ない。とても不思議に思っていたのですが、なるほど、この最初の交渉において代表者17名と敏腕弁護士4名で新潟まで出向いた時に完全決裂となったそうです。この事が中野氏と細川氏のその後の交流に影響したのでしょう。大富豪へのキッカケは中野氏の資金力は事実だが、それを上手く運用して自己資金を蓄えられたのは細川力蔵氏の才覚なのですネ~m(__)m

さて、関東大震災。これが起きた事で港湾事業の大切さを痛感した東京市は東京港の実現に力を入れるのだが、結果として“芝の浦”という景観や活魚の漁は駄目になり、大行楽地で花街として繁栄した芝浦は衰退していく。だが、苦境の時こそ楽しみを見出したいと細川力蔵氏は益々地域のコミュニティや街の発展に益々力を入れる。

1928(昭和3年)12月1日、合資会社「雅叙園」設立、飲食業に乗り出す。実はこの時すでに、天皇家を筆頭に著名人が挙って住みたがる葉山において広大な敷地を所有し、凄い豪邸を自宅としていた。なので芝浦の邸宅を改装して高級料亭「芝浦雅叙園」として創業したのだ。名前の由来は「教養人・趣味人が一日中いても飽きない場所」を意味する“文雅叙情(ぶんがじょじょう)”で、その後の目黒雅叙園として「誰もがお大尽気分を味わえる空間」がコンセプトとなるのだが、長々と細川力蔵氏の自伝を書いてきましたが、この続きはまた今度の機会にして「港区指定有形文化財旧協働会館保存修復工事」に戻りマス!

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   2017年7月の模様デス。こんな感じで放置状態だったのでしかもホラね!

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       着工予定と完了予定が書かれて無いというか...( 一一)
 
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 まぁ、順調に工事はされており、情報公開もしてますので気になる方はそうぞ♪
            https://www.esumai.jp/article/3093.html
 

来年の12月後半に完成で地域コミュニティーとして、2020オリンピック・パラリンピックの地域振興などに活用されるようデス。昭和初期の木造建築物、そして芝浦の歴史を後世に伝えるのも、大切ですからネ~(^_-)-☆

 

       今回の重要参考資料デース!!

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町田徹氏著のこの本によって目黒雅叙園の歴史が赤裸々に綴られてマス。凄い取材力でネットには出て来ない情報満載で非常に参考になりました。そして細川氏と中野氏の関係はヤナセ社長が自ら書かれた100年史。芝浦地域の歴史が満載デス。これはヤナセの公式ページにて無料公開してマス。ご興味ある方はどうぞ~(^_-)-☆

★ 行人坂の魔物 著 町田徹氏・公式 http://www.tetsu-machida.com/

★ ヤナセ100年の轍(わだち) https://www.yanase.co.jp/company/wadachi.php

...中国料理とは関係無い内容になりましたが、この後に目黒雅叙園開業となって円卓の回転盤誕生、そして現代も営業を続けているアノ店の創業オーナーシェフは、実は目黒雅叙園の中国料理長を経て戦中に総料理長就任という流れになるのですが、それはまたの機会にいたしマス。ここには書いてませんが、芝浦の歴史はホントーに興味深いデスなぁ~(^_-)-☆

 

 

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