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2019年4月 7日 (日)

ホテルニューオータニ「大観苑」で賞味会~!

この記事は2017年4月10日の記事デスm(__)m

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赤坂見附で下車、紀尾井町方面へと向かいマス。あ~、あれが赤プリ跡地に出来た「東京ガーデンテラス紀尾井町」ですナァ~。ココには先輩のMrスマイルがいらっしゃって「シラッちゃん食べにおいでよ、高いけど」という事でまだうかがっておりませんがそのうち...って、その後大変な事になったのは記憶に新しい。2016年7月「ザ・シノア テイスト・オブ・カントン」としてスタート、一年後に「広東料理 釵 chai チャイ」がOPENするも2018年1月に閉店...いったい、何が起きたんだ...いや、いや、いろいろあるとは思いますが現代でこんな事がおこるなんて...ココでは書けませんので興味ある方は私までm(__)m

  
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そして「赤坂 維新號」、ゲンビレで戻したフカヒレ姿煮は口の周りがパリッパリになってウマイんだよネェ~、濃厚で。北京ダックはネギとキューリたっぷりで...張支配人は元気だと先日情報が入ったので凄い久しぶりですが挨拶行こうと思ってはいるのデス。毎年恒例の新年賞味会は赤坂・四川飯店なのでどうしようかなぁ~といつも迷うんですが、ここまで来るには反対側のガーデンコートにあった寿司四季は銀座が本店でお台場のシノア四季も運営。神奈川から東京に帰りたかった俺は...あ~衝撃体験...今はどうしてるのか検索...あれ、今は無いのカナ?フジTVの球体にあったシノア四季は...閉店してるようですナァ~...まぁ、良い経験でした、ありがとうございました! 

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錦江飯店時代に中国大使館からの要望で出張したり、シノア四季ではオータニの寿司四季で手伝いさせられたりしていたので、館内を歩く従業員はベテランでも迷うという秘密経路があるんだよネェ~、懐かしい。あ、まだ時間あるから桜でもみましょうかネェ~(#^^#)V

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さて、理事会出席デース。お疲れ様デースと部屋に入ると凄い眺望デースなぁ~♪ 東京オリンピック当時は日本初の高層ホテル、そして回転レストラン、歴史アリですナァ~(^_-)-☆

 

「ホテルニューオータニ」、創業者は大谷米太郎氏。富山出身で極貧小作人農家の長男で後に「鉄鋼王」「日本の三大億万長者」といわれた人物で、家族を食わせるために学校へはあまりいけなかったそうデス。春夏秋は別の農家、冬場は造り酒屋で手伝い、頑健な肉体に恵まれて過酷な状況でもめげずに24歳で家督を継ぐも生活はかわらない。31歳の時にこのままでは駄目だと「三年間だけ時間をくれ」と母親に相談して、花の都大東京になけなしの20銭を握りしめて上京。「なんとかなるだろう」と漠然と来てみたが知人も保証人さえいない30過ぎの男に仕事は見つからない。明日こそはと考えて宿を探すが高くて泊まれないし、野宿もどこで寝ればいいかもわからない。安い宿を聞きつけ向かったが一泊15銭、飯代はイモのみ3銭。追い詰められた男はそれでもくよくよしてもしょーがないと爆睡していた所に来た男達と知り合い、日雇人夫の仕事にありつく。頑丈な身体と飲み込みの良さ、そして一番過酷な仕事を率先して行うと「よくやってくれたので」と日給以上の額を手にする事も多かったそうだ。しかし、天候にも左右されるので思うように金は貯まらない。これでは駄目だと商売を勉強しようと甘酒屋から始まり、八百屋、お風呂屋、酒屋、米屋などで働き、「どんな商売でも欲張り過ぎずにコツコツと」すればそこそこ安定する事を学んだそうデス。そして商売を始めるには「種銭」が必要。このまま雇われでは何年かかるか解らないと思っていた所に、大相撲がアメリカに進出、日本の十倍も稼げるという情報を聞きつける。実は「富山の大谷」といえば草相撲では知らない人がいないほど有名だったので、なんとかならんかと稲川部屋で力士になった同郷の山田川を訪問、「やめといた方がいいぞ」といわれるが親方が稽古に出て見ろとテストすると「お前なら幕下突き出しで大丈夫だ」という事で『鷲尾獄』として相撲取りになり、幕下最上位まで上り詰める。しかし、元々手指に障害があり万全でない事や加齢、そしてアメリカ巡業の話はいつのまにか立ち消えとなっていたのと、相撲取りとしての人脈や地方巡業などでは工場巡りなどで機械について勉強していたので、当初の目的通り商売を始めようと決意、2年で力士を廃業した。選んだ職業は酒屋、子供の頃から慣れ親しんだ経験もあるし、この頃結婚したので二人三脚で頑張った。現代では当然になっている手法である「薄利多売」を実践し、後に蔵前に国技館が出来るがその建設自体にも尽力し、一手扱い酒屋にもなる。酒屋業はそこそこ上手く軌道に乗り始めたが、やはり利が薄い。そこへ近代化の建設ラッシュが始まり、鉄鋼需要が急増、そしてこれが儲かるという事を聞きつけて鉄鋼圧延用のロールを作る会社を起業する。関東大震災で工場の建物などはダメになるも機械は無事で、震災後の復興特需で事業が拡大して行く(^_-)-☆

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凄いですネ、大谷米太郎さん。その後満州進出、大谷重工業となって区会議員や市議会議員としても活躍。ニューオータニについてはなんと80歳の時に東京オリンピック開催で外国人旅行客の宿泊施設が足りないと国から懇願されての建設。そうそう、そもそもココは加藤清正公の下屋敷、井伊家中屋敷として受け継がれ、その後に四つの世襲親王家で一番古い伏見宮(フシミノミヤ)邸となるが、敗戦後により皇籍離脱でその地を手離す事となり、外国人の所有になりそうになった所を大谷米太郎氏が買い取ったそうデス。実はホテル建設に際してはこんな話がありました。

財界四天王と言われた永野重雄氏は日本製鐵会長が富士製鋼支配人当時に大谷米太郎氏と懇意となっており、大谷氏が無くなるまで昵懇な間柄だったそうデス。銀行嫌いな大谷氏は現金主義を貫くのだが、富士製鉄から仕入れた原材料費が調達出来なかったので伏見宮邸が担保となっていた。そこに東急グループの創始者である五島慶太氏が永野氏に相談を持ち掛ける。東京オリンピック前でホテルが足りない状況で、外国資本は当然日本進出を目論む。東急とヒルトンが組んで都内にホテル建設するのだが、とても素晴らしい立地条件として選ばれたのが現在のホテル・ニューオータニの場所なのだ。世界のヒルトンが選んだ場所、結局この話は大谷氏側が大崎の土地と絡めてかなり高額な取引となりご破算となるのだが、売れていたらと思うと面白いですネェ~(^0_0^)V

ちなみに東急とヒルトンはヒルトン東京として永田町の北大路魯山人氏の星が丘茶寮の跡地に開業。20年の契約だったが、途中で東急側がキャピトル東急と改名して訴訟などがあり、1984年に新宿国際ビルディングに日本初の外資100%ホテル「東京ヒルトンインターナショナル」としてOPEN、そして永田町の方はザ・キャピタル東急として現在至るのデス。

さて、会議も終わりましたので会場に向かうとしますかネェ~(^_-)-☆

 

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 大谷米太郎氏(画像拝借m(__)m)         受付デース♪

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  お~凄い眺望~、ちょっと時間があるのでレストラン・大観苑さん行ってみマス!

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「レストラン&バー・大観苑」、1964年にホテル開業と同時にOPEN。初代総料理長はホテル業が初めての大谷氏が相談を持ち掛けたのが帝国ホテル創設者の一人、大倉喜八郎氏で建設は関連会社の大成建設。息子の大倉喜七郎氏はホテル・オークラの創業者で当然親交があったので中国料理の総料理長は桃花林で腕を振るっていた「謝文森」氏。実はこの方は私の大先輩である富永眞氏と朋友(ポンユウ)でお会いした事はないのですが、凄い方だったそうデス。その後、旧横浜ホリデーインの重慶飯店、中華街の名店と言われた三洸園、そして学士会館の紅楼夢と総料理長を歴任、この他に富永さんと組んでたくさんのお店の立ち上げに関わったそうだ。まさに中華料理人界ではレジェンドの一人ですナァ~、ちなみに「大観苑」の名前は清代著の中国四大長編小説の一つといわれており、当時の生活様式や食慣習など知るの資料としても有名な「紅楼夢」に出て来る架空庭園の名前。現在はそのイメージを表現したリアルな庭園が上海にあるのデース!

★ 富永大先輩についてはコチラ↓

  https://ameblo.jp/ks-management/entry-12367686261.html

 

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    これが名所の庭園かなぁ~♪       オー、プール...寒いよネ!

 

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     さて、始まりデース(^_-)-☆

    

     目黒雅叙園・終身名誉料理長、近藤伸二氏のありがたいお話!

        日本中国料理協会・東京支部長でもあるのデス♪

 

   

    本日はお世話になります、黒岩利夫料理長のご挨拶デースm(__)m

 

    カンパーイ...って、滝先生のお姿が良く映ってないデスm(__)m

 

      それでは料理行きマス!!

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  焼き物入り前菜盛り合わせ~♪

 

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    蟹肉入ふかひれスープ

 

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    海老と季節野菜の炒め

 

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  ショウロンポーと王道の菊花型シューマイ♪

 

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 梅干菜で扣肉、懐かしい王道料理ですナァ~♪

 

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  魚の唐辛子炒め、辣子ですナァ~!

魚はノロゲンゲで深海魚、元々はゲンゲは下の魚という意味で元々はあまり食べていなかったが、近年は皮膚のヌメリが健康によろしいという事でテレビなどでも取り上げられて人気が出て来た白身魚だそうデス。あれ~画像がぼやけて...そうなのデス。この後は上海ヤキソバでデザートが杏仁プリンとなるのですが、あ~あ、こんなんなっちゃってるんで撮り忘れましたm(__)m

 

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  ア~ぁ、相会長~、飲んでますゼイ(^_-)-☆

そんなこんなで、楽しみました。料理の評価については控えますネ、ニューオータニ価格なのでしょうネ~(#^^#)V

 

  

〆は...近藤伸二日中協東京支部長デス。伝説の赤坂・山王飯店で陳浩榮老師の最後の弟子として10年間修行。その後、香港「大上海飯店」、香港「リージェントホテル」で経験を積み、91年目黒雅叙園入社。「旬遊紀」料理長を経て、2002年総料理長に就任という経歴。そしてお祖父様はナント、目黒雅叙園の中国料理初代料理長、戴長林氏だったそうデス...その後...魔都上海で細川力蔵氏にスカウトされた男が呉宝祺氏で多くの招聘された料理人の中から勝ち上がって料理長となり、戦後の新橋で今も続く名店...あ、関係ないですネ~!(^^)!

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     さぁ~て、それでは...唄っちゃおうかナァ~♪

         行きましょう、会長~(^_-)-☆

 

 

 

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